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散文

祈りにも近い何かを

2022.02.17

"想う"対象に届かなくても
"想う"の先が思ってたものにならなくても
"想う"と言う行為にはとても価値があると、私は信じたい。


きっと何かを想いたくて生きてるし、何をどう想えるかわからないから苦しい。想っていても想い方がわからないから苦しい。
『想う』と言う行為には対象が存在していて、『想う』と言う行為の状態は無限にある。
伝えるのも想うことになるし、伝えないのも想うことになるのだと思う。
でも、伝えられないのは、また違う気がする。



そんなことを感じながら、
そんなことを探し続けた『SLAPSTICKS』との3カ月がついに終わった。


彼女のことを"想う"。
ずっとずっと、ちゃんと"想い"ながら向き合う。



幕が下りる最後の最後まで、どうしたらいいか自分に問い、共演者の姿に問い、客席に問うたこの作品に携わることのカロリーは高くとても新鮮な日々でした。



時々「これだ」と思うのだけれど、次の公演が始まるとまた、「それではないのかもしれない」と自分への問いが始まる日々。
知らない自分にもたくさん出会えた日々でした。



この事件は、実際にあったお話で、
私が演じたヴァージニア・ラップも、実際にいた女性です。

こうやってまた、世間にその存在や生涯を伝えることで、彼女の魂が傷ついていることだろうと感じるから、わかるから。

その分真摯に丁寧に向き合い切ったつもりでした。
最後まで、諦めないで、考え続けたつもりです。
役を任されただけの私には、それしかできないから。


自分自身で傷つきながら、見てくださった皆様に傷を与える、なんともハードな作品でしたが、俳優としても女性としても25歳の今この作品でこの問題を肌で感じられたことは一生持って生きていく荷物になったと思います。

嬉しいとか、嫌だとか、そういうことではなく。



見てくださった皆様も、きっと受け取ってしまったであろうこのお土産をゆっくりとゆっくりと、時々何かのきっかけで思い出したりしながら、ゆっくりとゆっくりと、消化していって判断材料の一つにほしいなと願います。

コロナ禍で前向きな外出が難しいなか、ご来場いただき誠にありがとうございました。




心をたっぷり使った3カ月の後は、体をたっぷりつかうお時間です。
今頃はもう稽古してると思います。

舞台『アクダマドライブ』はとにかく身体を使います。
きっとこれから心が身体に動かされていくという予感があるので、その時をとても楽しみに只々今は身体に身を委ねてこうと思います。
卵が先か鶏が先か、みたいな感じです。

どっちも面白くてたのしいです。
ヴァージニアにお礼をいいながら、一般人に挨拶の夜。
3月の本番を、どうぞお楽しみ。

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