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散文

森の雪

2024.01.29

森の家に、雪が降ったらしい。


らしい。
というのは、わたしが帰れていないせい。
今朝ケータイを開くと雪の積もった愛しい森の写真が送られてきていたのだ。もう半年近く森に帰れていないから、2月こそは隙を見つけて帰りたいなと思っている。

森と一緒にしたら怒られると思うけれど、今日は東京もなかなかの寒さだ。
ダウンを着て出たのに歩きながらガタガタと震えてしまったので、カフェに避難してココアをのんでいる。
とことん寒さに弱い私だ。
今年の冬は変にあったかい日と恐ろしく寒い日がランダムに訪れているようで、気温差がものすごい。昨日ちょうどいいと思ったアウターが、今日は全然物足りないのだ。かと思えば突然、ダウンなんて着ていられないほどポカポカな日がやってきたり。
外に出る瞬間が毎日おみくじ気分である。
地球どうなっちゃうのかしら。全てのことから「変わり目」の気を感じる。


今までは生きる世界がたいてい安定してくれていたから自分の変化に集中していたけど、これからはそうもいかないのかもしれない。
それとも、世界は変わり目ではなくて、自分の歳のせいだったりするのだろうか。
人生の先輩に「わたしだけ…?」って思っていることを相談すると、みんなみんな同じように「その歳の時感じていた‼︎」みたいなことが多々あるのだ。
だからもしかしたらこれも、そういうことなのかもしれない。
たしかに歳を重ねることによってのみ得られる「感じ方の違い」についてはそろそろ向き合わなくてはいけないなと、ちょうど密やかに感じ始めたところではあるのだ。
特に私が本業としている"演じること"に関しては、どんなにバカにされても[没入していくこと]や[子供のように熱心であること]が代え難い煌めきになることがあるし、時として求められる。これは私の体感では、オトナなココロでは到底成し得ないことなのだ。
他人の顔色を窺ってばかりだと、出るものも出ない。それで悔しい思いをするのが自分なら、多少わがままだってしょうがないなと言わずにはいられない職業なのだ。
今まではこんなことにも気が付かずに、いろんなことに気を配っていることがいいことだと思ってそれに注力していたし、そういう努力をしない人を少し軽蔑している側面があったように思う。そういう瞬間が記憶にある。
でも、他人のことを軽蔑する時間があるなら、他のことをした方がよっぽど健やかでよっぽど効率的だ。情けない。

個性が求められすぎるこの時代。
自分を守るためにと拒絶を強めることは容易いけれど、それよりもそのエネルギーを、自分の器を広げるために使いたいと思った。
先日久しぶりに吉田仁美さんとゆっくり話して、仁美さんの相手を肯定し続ける素晴らしさに感銘を受けたことも、大きな刺激になっている。
あれから10年が経って、私はあの時の仁美さんの年齢にいよいよ追いつく。
今の私は、少しでもあの頃の仁美さんに近づけているだろうか。今の私を思ってくれる人は誰がいるのだろうか。情けないことばかりだけれど、相手のことをしっかりと見て、相手の話に耳を傾けて、進んでいける大人でありたいと願ってやまない、至らぬわたし。


それでも明日も日は上るから。
燦々たる日々も散々たる日々も爛漫に。
明日もよい日になりますように。

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