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散文

大好きな文章

2024.06.28

わすれられない一冊に『羊と鋼の森』をあげることがある。
実写映画化もされたし、ご存じの方も多いだろうこの一冊。
好きなのだと言うと、ほとんどの場合その後に続く言葉は決まっていて、それは「どんなところが好きなんですか」という質問です。しかし、何年もの間、私はこの質問には、うまく答えることができないでいた。なんで好きなのか、私自身が、よくわかっていなかったからです。
映画も観たし、なんなら楽しく拝見したけれど、映画は映画だしなあ。
小説は小説、映画は映画、アニメはアニメ。

このことについては、去年か一昨年連続ジョゼ虎上映会を自宅で開催してから、私の中で確かな意見となりました。
誰か舞台化してくれないかな、もうしたのかな。全部連続で見てみたいな。
漫画だと「四月は君の嘘」が一番メディアミックスされてましたかね。
私も半年ほど前に、宮園かをり役をさせていただきました。漫画、アニメ、映画、舞台、ミュージカル、朗読劇。そもそも物語を生み出すときにはいらないところなんてないように生み出しているはずなのに、他のメディアになると余剰と感じるところが増える。同時にもっと書き増やさねばいけないことも出てくる。
不思議なことですが、媒体が変わるとはそういうことなんだろうと思います。それだけ伝えられる情報に違いがある、ということなんだろうな。
おもろいですね~

そうそう、で、ここ半年はことあるごとに、例えば、本屋で『羊と鋼の森』を見かけたり、サブスクで映画のキービジュアルを見かけたり、図書館で手に取ってみたりするたびに、「何が好きなんだっけなあ」と考えるようになりました。
この「何が好きだと思ったんだっけなあ」と思い出したり、探したりする時間はとっても豊かで、楽しかったです。で、ついに「こうなったらもう一度だ」と、もう一度一から読んでみました。
音と、森と、技術と、センスと。
重なる「スキ」の中に見つけたその一文。
それは、そもそも著者である宮下奈都さんが原民喜さんの「沙漠の花」という随筆から引用したものでした。この"沙漠"は見慣れない漢字ではありますが、親しみのあるあの"砂漠"と意味するところは同じだと言うことです。
そもそもそもそも(そもそもの連なり)この「沙漠の花」は「風立ちぬ」でお馴染み堀辰雄さんの「牧歌」と言う著作に対する感想文的なものなのですが、ここに登場し、また『羊と鋼の森』にも登場するこの一文が、大好きなのです。

― 明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを湛へてゐる文体、夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体(原民喜 「沙漠の花」より引用)―

それから原さんはこう続けます「私はこんな文体に憧れてゐる。だが結局、文体はそれをつくりだす心の反映でしかないのだらう」と。
この文章自体が、まさにそういうものであるように感じられる私は、この言葉を紡ぎ出しておいてなお、さらにその先を求めるんだな、と途方にくれてしまいました。

でもまあ確かに、原さんの作品は何作か読みましたが、奥様のご病気のことや戦争の時のことを元に書かれた作品ばかりで、上記のような文体を披露する余地がない作品ばかりのようでもありました。いや、私が知らないだけという可能性は大いにあります。
ご存じの方は是非教えていただけませんか。
原さんの、明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを湛へてゐる文体、夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体と、それが遺憾なく発揮されたであろう著作を。
それともこの概念自体が、原辰雄さんなくては生まれ出なかった、感想としてのものなのでしょうか。


活字に潜る時間は尊い。
しかし、音楽に潜る時間も等しく尊い。

本日は「大和田雅洋と吹奏楽~サクソフォニストとして、コンダクターとして」の開催日です。
司会を努めて参ります。
そんな話しはまた今度。


燦々たる日々爛漫に
明日も良い日になりますように

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